名古屋高等裁判所 昭和50年(う)395号 判決 1976年2月04日
被告人 山内正之
主文
原判決を破棄する。
本件を四日市簡易裁判所に差し戻す。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人加藤平三作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官鈴木信男作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
一、事実誤認の論旨について
所論は、要するに本件事故発生直前被告車は原判示トンネル内にいたけれども、トンネル内といつても北側入口から三・八メートル入つた外部と同じ明るさのところであり、しかも停車していたのであるから、かかる場合はもちろん、仮に原判示のようにトンネル内を進行していた場合であつても、被告人に原判示のような注意義務はなく、従つて被告人に原判示のような過失を認めた原判決には重大な事実誤認がある、というのである。
所論にかんがみ検討するに、原判決のかかげる証拠によれば、本件事故現場である新毛見トンネルは、和歌山市と海南市を結ぶ国道四二号線のため、和歌山市毛見九四の二番地に設定された全長一九六メートルのトンネルで、内部はほぼ直線になつていて勾配はなく、中央は幅員七・四メートル、二車線の車道、その両側は幅員〇・七五メートルの歩道になつており、天井にはオレンジ燈が二列に点燈されていて、和歌山市方面からの南進一方通行に交通規制されていたこと、被告人は右トンネルの南方約一〇〇メートルの道路分岐点(国道は同所で新毛見トンネルを通る道路と旧毛見トンネルを通る道路とに岐れている。)に設置してあつた進入禁止の標識を看過して同トンネルに南側出口から約一一六メートルほど入つたとき漸く一方通行禁止に違反して進行していることに気づいたこと、ところが被告車は一一トン積み、長さ一〇・五二メートルの大型車であつたことから、後退は困難と考え、そのまま進行することとしたが、対向車と衝突する危険のあることを慮り、時速五ないし一〇キロメートルに減速し、前照燈と車幅燈を点燈すると共に、運転台右窓から右腕を合図のため出してトンネル北側入口の手前八ないし九メートル付近まで行き、同所から前照燈を消して進行し始めた直後、迫田寿始運転の普通乗用自動車(以下被害車という)が対向して来るのを約一二・六メートル前方に認め、直ちに停止措置をとつて、トンネル入口から三・八メートル入つたところで停止したが、進行して来た被害車右前部と被告車右前部バンパー付近とが衝突するに至つたことが認められるのであつて、所論も衝突直前の被告車の位置、状態について、右と異なる事実を主張しているものでないと解されるところ、所論は、右のような場合被告人に原判示のような注意義務はなく、従つて過失もない、というのである。しかし右に認定した状況のもとでは、南進して来る自動車の中には対向(北進)車はないものと信じて右側車線を制限速度の時速五〇キロメートル以内で進行して来る場合のあることが予測されるから、そのような自動車との衝突を避けるため、北進禁止区間を通過し終るまでは、自ら直ちに停止できる程度に減速徐行するのみならず、対向車に対し、前方より被告車の進行して来ていることを知らせるため、助手を下車させ、先行させてその旨の合図をさせるとか、警音器を断続的に吹鳴するとか、特にトンネル内では前照燈を点滅する等の方法をとり、もつて事故の発生を防止すべき業務上の注意義務のあることは明らかであつて、所論のように被告車がトンネルの入口近くに来ていたからといつて対向車との衝突の危険がなくなるわけではないから、かかる注意義務を免れるものではない。しかるに被告人は車の速度を五ないし一〇キロメートルに減速したものの、それ以外には前照燈と車幅燈を点燈し、右腕を窓から出して合図する程度で進行したに過ぎず、しかも事故直前には前照燈を消していたこと前叙のとおりであり、外界の明るさに馴れた目でトンネル内部にあるものが見えにくいことを考慮すると、右程度で被告人が前叙の注意義務を尽くしたと認めることは困難である。この点につき所論は、原判示の助手を先行させて上衣などを振らせる方法は危険が伴ううえ、余り有効ではなく、前照燈の点滅は却つて前方注視を妨げる難点があり、警笛の断続的吹鳴はトンネル内の騒音障害となるから、いずれも被告車の存在を知らせるための方法として適切でなく、被告人のとつた以上に有効適切な方法は他にないから被告人は注意義務を尽くしていることになるのであつて、本件事故はむしろ被害者迫田の前方不注視と速度違反が原因である、というのである。なるほど被告車の存在を対向車に知らせるための原判示の方法に所論のような欠点のあること所論のとおりであり被害者迫田に前方をよく見ていなかつた過失のあることも所論のとおりである。しかし原判示のような方法が被告車の存在を対向車に知らせる方法として通常とり得る有効な方法であることは論を俟たないのであつて、本件において被告人がそのような方法をとつていたならば本件衝突事故の発生を避けることができたと認められるから、被告人に過失のあることは明らかであり、被害者迫田の過失は被告人の犯罪の成否に何等の影響も及ぼすものでない。原判決が原判示過失を認めたのは相当にして、原判決に所論のような事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。
二、次に量刑不当の論旨に先立ち、職権をもつて調査するに、本件起訴状によれば、被告人に対する公訴事実の要旨は、「被告人は、自動車の運転業務に従事するものであるが、昭和四七年六月二五日午前一〇時一五分ころ、大型貨物自動車を運転し、南方から北方の和歌山市方面に向うに際し、和歌山市毛見九四の二先新毛見トンネル南方(手前)約二〇〇メートル地点が同トンネル(北進禁止)から通ずる道路と、その西(左)方に在る旧毛見トンネル(北進可能)へ通ずる道路との分岐点となつてあつて、同所に前記新毛見トンネル道路へ進入禁止の標識が設置されてあるのであるから、同標識に従つて旧毛見トンネル道路に進行すべきであるのに、これを看過して前記新毛見トンネル道路(北進禁止)に進入し時速約四〇粁で進行中、同トンネル北口手前八〇メートル余地点で自車が北進禁止の新毛見トンネル道路上を逆行していることに気づいたのであるから、この場合、速やかに後退して北進道路に移行するか、敢えて逆行するとすれば、反対方向から対向する車両と衝突事故を起こす危険があるから、助手をして北方の北進道路との合流地点まで先行させて対向車に自車が逆行していることの合図をさせこれを知らしめて注意を喚起させると共に、自車も徐行し前照灯を点け、かつ警笛を断続的に鳴らすなど適切な措置を講じ、対向車との衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠たり、対向車との衝突事故防止のための万全の措置を講ずることなく、前照灯を点灯したが、同トンネル北口手前八ないし九メートル地点で消し車幅灯のみにして時速五ないし一〇粁に減速しただけで進行した過失により、おりから、反対方向から対向する迫田寿始(当時二四才)が運転する普通乗用自動車に自車前部を衝突させて、同人に加療約二週間を要する右口角挫創等の傷害を負わせたものである。」となつていた。ところが、右訴因は原審第一五回公判において、検察官の請求により「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四七年六月二五日午前一〇時一五分ころ、大型貨物自動車を運転して時速約四〇キロメートルで海南市方面から大阪府方面に向かつて北進し、和歌山市毛見九四の二先新毛見トンネル内道路にさしかかつた際、自車が一方通行(北進禁止)の規則に違反して進行していることに気づくと同時に後退が困難なことからそのまま進行を継続しようとしたが、トンネル内であり、しかも反対方向からの車両の進行が予測されたから、かかる場合自動車運転者としては、直ちに助手を下車させ、同人をして手又は衣類等を握らしめて先導させるはもちろん、徐行するとともに前照灯を点滅させ、警音器を断続的に吹鳴させる等適宜の方法を執つて対向して来る車両に自車の進行を知らしめ、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、わずかに速度を時速約五キロメートルないし一〇キロメートルに減速し、運転席の窓から右手を出したのみで漫然進行した過失により、おりから反対方向から進行して来た迫田寿始(当時二四年)運転の普通乗用自動車に自車前部を衝突させ、よつて同人に対し加療約二か月半を要する右口角挫創等の傷害を負わせた」旨に撤回変更され、原審は変更された右訴因とほぼ同趣旨の原判示業務上過失傷害の事実のみを認定し、道路交通法違反の事実については認定することなく判決していることが認められる。しかしながら、本件起訴状に記載されている道路交通法違反(過失による通行禁止規定違反)と業務上過失傷害とは、前者に引続いて後者が発生しているけれども、犯行の時間、場所を異にしており、両者は社会通念上事実を異にするものと評価すべきであつて、これを一個のものとみることはできないので、併合罪の関係にあるといわなければならない。そうだとすれば道路交通法違反事件を審判の対象から除外するには公訴取消という方法によるべきであり、訴因の撤回、変更という方法によることは許されないのである。
本件において、道路交通法違反事件につき検察官の請求により訴因の撤回されたことは前叙のとおりであるけれども記録を調査してみても、刑訴規則一六八条に従つた公訴取消の手続が履践された形跡はないので、同事件は訴因の撤回にかかわらずなお原審に係属し、原審としてはこれを審判すべきであつたのである。しかるにこの点を看過した原判決は、結局審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた(刑訴法三七八条三号前段)違法をおかしているものといわなければならず、しかも道路交通法違反と原判示業務上過失傷害とは併合罪であるから原判決は、この点において全部破棄を免れない。
三、よつて、刑訴法三九七条一項、三九二条二項を適用して原判決を破棄し、同法四〇〇条本文に従い、本件を四日市簡易裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 塩見秀則 平野清 大山貞雄)